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傷あと-私と家族の被爆記- 其の5(完) [傷あと-私と家族の被爆記]

 原爆投下は、一体どういう意味をもつのでしょう。戦争を早く終えるため? ソ連に対してアメリカが優位に立つため? それらについては いろいろ言われていますが、一番大きな目的は、建物の破壊力を知るため、人体への影響を知るためだったのではないか、と思われます。アメリカから 「十フィート運動」で返還されたフィルムを見るとよくわかるのです。
 そう言えば、広島は、原爆が投下されるまであまり空襲はありませんでした。警戒警報が発令されても爆弾は落とされませんでした。だから、母はたくさんの子どもをつれているのですから、サイレンが鳴っても 防空壕へ逃げこむこともしなくなり、夜など、自分だけ起きていて、子どもを起こしたりはしておりませんでした。警戒警報のサイレンで私が目をさますと、よく母は、一人で子どもの布団のそばに座って、子ども達の寝顔を見ていました。だから、8月6日の朝も、警戒警報が解除されると、当然安心をして、日常の生活にもどっていたのです。原爆投下の目的を遂行するためには、人々が日常的な平素の生活をしていることが、必要だったのかも知れません。
 だから、アメリカは原爆投下後の広島・長崎をくまなく写真に撮り、人体に関する影響も、ABCCをつくり、そこで強制的に調査し、悪いところがあっても、治療などしないで、その状態を観察し続けたのでしょう。

 私は一度だけ、ABCCに行ったことがあります。何度も 何度も、ABCCに来るように言われてはおりました。何故かいきたくなかったのです。人の話は、「おいしいあめをもらった」とか 「行くと全部着がえさせられた」とか 「すごい機械があった」とか、 「血をたくさんとれらた」とか、 「モルモットにはなりたくない」などいろいろでした。その話は 私にとって、ABCCに行くことの不安と同時に興味を持たせるものでした。
 とうとう高校二年生の時に、ABCCに行くことを承諾しました。学校までジープで迎えに来て、私はそれに乗りました。
 『アメリカの調査施設に自分を投げ出すのか? いや、すばらしい治療法を見つけるための調査に自分を出すのだ。あのよくわからない、勝手に入れない、ABCCへ行って自分の目で見るのだ』などと 心の中で自問自答して 勇気づけながら、建物の中へ入ったのです。
 ABCCの中は、ほとんどが日本人なのでびっくりしました。所々に、外国人がいますが思ったより少ないのでホッとしました。予想どうり着がえさせられて、レントゲン心電図など、いろいろな検査をしました。幼少の頃から心臓が悪かったのですが、心電図をとったのは その時はじめてだったのです。ABCCの医師は、「何か運動はしますか?」と尋ねました。その頃テニス部に入部していましたので、「テニスをします」と答えたら、「試合は最後まで続けてできますか?」と聞かれました。「それはできます」と答えましたら、「そうですか」といいました。その話を聞いて、『自分の心臓はあまりよくないのだな、試合ができなくても仕方ない位なのかな』と思ったのです。しかし 検査の結果についての報告は、うけた記憶がありません。もう二度と、どんなことがあっても行くまいと思ったことは覚えています。

 もうABCCのことなど忘れていた時、息子が中学生の頃だったでしょうか。息子あてに一通の封書が来ました。その内容は、調査に応じてほしいというものでした。丁度、子どもの方も、被爆二世であることで自分にどれ位の原爆の影響があるのか、よく出る鼻血はどうしたのか、などとひそかに悩んでいたようです。それで、その調査に応じて自分の体のことを知りたいと思っていたのかも知れません。「検査をしてもらおう」と私に言いました。私はABCCの状態などを考えて、もし 息子の体に不安を持つような自覚症状がすでにあるのなら、それを明らかにしなければいけないし、治療もしなくてはいけない と思い、病院へつれて行くことにしたのです。結果は、心配はないということで、私も何かホッとしました。
 ABCCは、50年間の期限つきで調査活動に入ったということです。50年と云えば、被爆した本人、その子ども、場合によってはその次の世代まで調査することができるのです。二代~三代にかけて調査すれば、放射能の影響がどのように推移していくかが、わかるはずです。原水爆の破壊力の実験は、実際の都市に投下しなくてもできるわけですが、人体にどのように影響するかを調べることはいわゆる原水爆実験ではできません。今まで、地球上で、広島・長崎・ビキニ環礁が、人体への影響を知る上で、大切な資料になっているのです。人体への影響の推移を知るということで見ていきますと、治療などする必要はなく、逆に治療しないままで見る方が、より正確なデータが出るというのは少し考えすぎでしょうか。人間のより一層のしあわせのためにABCCの資料が利用されるというのなら、そのために、資料として自分の体を提供するということも意味があるでしょう。しかし、そうではなく、新しい核兵器開発のために、その資料が利用されるとしたら、我々被害者は、そのことをどう受けとめればよいのでしょう。
 被爆の問題は、39年前の出来事ではなくて、今も続いている問題、いや 以前よりもっと大変なことになりつつあるのです。
 力の均衡の名のもとに、多くの国々で行われている際限のない核兵器開発競争の現実を見て、我々被爆者は、だれに、どのように、自分たちの病気の苦しみや、つらさを訴えればよいのでしょう。被爆者や、多くの一般の市民は、安心して生活できる場を求めているのです。

 核兵器は、人間の手と知恵でつくられたのです。だから、人間の手と知恵で、なくすることはできるはずです。そのためには、人間の上に落とされた二個の核兵器のむごさがどんなものかを知るためにも、わたし達被爆者は話しつづけ、書きつづけなければいけないと思います。そして、平和を願っている多くの人達と力を合わせれば、きっと核兵器のない時代を迎えることが出来ると思います。


傷あと-私と家族の被爆記-  完
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