「山下会」について あさ第18号より [山下会]
「山下会」について
この会は、広島に住む母親の学習サークルです。
1958年の春に勤務評定反対運動のなかで生まれたわたしたちのサークルには、はじめは名前がありませんでした。週に1回の集まりを欠かさず続けているうちに、1964年6月に会員の1人であった山下朝代さんが亡くなりました。積極的に活動していた彼女の生涯をしのんで、この時より、わたしたちの会を山下会と名づけました。
わたしたちは、いろんな学習を通じて、子どもたちに何かをしておりたいと考えてきました。そのことを話しあっている時、ふときづいてみると、集まった者のほとんどは被爆者でした。そこで、まず何より戦争から子どもの生命を守りたい、戦争を未然に防ぎとめたい、と願うようになりました。わたしたちはいつ原爆症で死ぬかもしれないが、わたしたちの体験してきた、戦争について、被爆について、原水爆禁止運動について、子どもに知ってもらいたいと書きつづってきました。微力ではあるが、戦争を防ぐことにつながると信じて『あさ』の発行をつづけてきたのであります。
これは、昭和59年7月25日に発行された、最終号にあたる第18号の
表紙をめくった扉のページに記載されています。
ひとつの原稿は、何ページにもわたる量です。
入力しやすそうな原稿から、その1、その2…と小分けにして
入力することが負担に感じない程度に、でも間延びしない、
そう心がけながらぼちぼちいこうと思います。
その間、本来の「ゆうきリンリン」、こちらも更新していきたいです。
この会は、広島に住む母親の学習サークルです。
1958年の春に勤務評定反対運動のなかで生まれたわたしたちのサークルには、はじめは名前がありませんでした。週に1回の集まりを欠かさず続けているうちに、1964年6月に会員の1人であった山下朝代さんが亡くなりました。積極的に活動していた彼女の生涯をしのんで、この時より、わたしたちの会を山下会と名づけました。
わたしたちは、いろんな学習を通じて、子どもたちに何かをしておりたいと考えてきました。そのことを話しあっている時、ふときづいてみると、集まった者のほとんどは被爆者でした。そこで、まず何より戦争から子どもの生命を守りたい、戦争を未然に防ぎとめたい、と願うようになりました。わたしたちはいつ原爆症で死ぬかもしれないが、わたしたちの体験してきた、戦争について、被爆について、原水爆禁止運動について、子どもに知ってもらいたいと書きつづってきました。微力ではあるが、戦争を防ぐことにつながると信じて『あさ』の発行をつづけてきたのであります。
これは、昭和59年7月25日に発行された、最終号にあたる第18号の
表紙をめくった扉のページに記載されています。
ひとつの原稿は、何ページにもわたる量です。
入力しやすそうな原稿から、その1、その2…と小分けにして
入力することが負担に感じない程度に、でも間延びしない、
そう心がけながらぼちぼちいこうと思います。
その間、本来の「ゆうきリンリン」、こちらも更新していきたいです。
「あさ ~草の根から平和を~」ならびに山下会について [山下会]
私の手元には「あさ 草の根から平和を」の18号があります。
平成20年夏、りんちゃんを産む前の年に帰省した際もらいました。
私には被爆体験を持つ叔母がいます。
子供がいないこともあってか、可愛がってもらっています。
会誌をもらった際、本当は叔母の事を知りたかったのです。
そして、できるならば叔母が生きた証を残したいと思っていたのです。
子供はいません。叔父と結婚する際、随分反対されたそうです。
叔父からすると、2番目の姉の結婚相手、私の伯父ですが、
唯一この人だけが2人の結婚に賛成してくれたそうです。
きっと肩身が狭かったのではないか、そう思います。
爆心地に近い所に家があったと聞いた覚えがあります。
家をなくし、お寺でお世話になったということも聞いたことがあります。
胆石、乳ガン、高血圧、叔母が病院と関わった病気です。
先日実家に電話をした際、昨年ペースメーカーを埋めたらしいと聞きました。
そんな叔母が会誌をくれた時のこと。いつもは明るい叔母ですが、
話を聞かせてもらって、いつかHP持ったら載せたいと言ったところ、
本棚から取り出した会誌を差し出しながら
「ここに書いてあるとおり。私は書いていないけれども。
でも、みんな同じような事が書いてあるから。」
ただそれだけ。それ以上は何も語ってくれませんでした。
りんちゃんを産み、産休復帰後パートを辞め、
時間が出来た昨年夏に会誌を手に取りちらりと読みました。
どう取りかかって良いのかよくわからないまま一年が経ちました。
まず取りかかろう、ブログに少しずつ載せてみよう。
本当は山下会の代表者に承諾していただくのが先決か、
そう思いましたが、とりあえずやってみることに…
平成20年夏、りんちゃんを産む前の年に帰省した際もらいました。
私には被爆体験を持つ叔母がいます。
子供がいないこともあってか、可愛がってもらっています。
会誌をもらった際、本当は叔母の事を知りたかったのです。
そして、できるならば叔母が生きた証を残したいと思っていたのです。
子供はいません。叔父と結婚する際、随分反対されたそうです。
叔父からすると、2番目の姉の結婚相手、私の伯父ですが、
唯一この人だけが2人の結婚に賛成してくれたそうです。
きっと肩身が狭かったのではないか、そう思います。
爆心地に近い所に家があったと聞いた覚えがあります。
家をなくし、お寺でお世話になったということも聞いたことがあります。
胆石、乳ガン、高血圧、叔母が病院と関わった病気です。
先日実家に電話をした際、昨年ペースメーカーを埋めたらしいと聞きました。
そんな叔母が会誌をくれた時のこと。いつもは明るい叔母ですが、
話を聞かせてもらって、いつかHP持ったら載せたいと言ったところ、
本棚から取り出した会誌を差し出しながら
「ここに書いてあるとおり。私は書いていないけれども。
でも、みんな同じような事が書いてあるから。」
ただそれだけ。それ以上は何も語ってくれませんでした。
りんちゃんを産み、産休復帰後パートを辞め、
時間が出来た昨年夏に会誌を手に取りちらりと読みました。
どう取りかかって良いのかよくわからないまま一年が経ちました。
まず取りかかろう、ブログに少しずつ載せてみよう。
本当は山下会の代表者に承諾していただくのが先決か、
そう思いましたが、とりあえずやってみることに…